TwitterやFacebookなどのSNSの世界ではたまに炎上という事態が起こります。
あえて炎上させようとしている人を除いては、その投稿が炎上するなんて思ってもみなかったことなんでしょう。
自分が良かれとつぶやいたことに反対意見が大量に押し寄せる。
想像しただけでも恐ろしい。
まあ炎上する人というのは、もともとフォロワーが多かったりとたくさんの人とつながっていることが多いので仕方ないのかもしれません。
でもいつも思うんですが、自分と意見が違うからと反対意見をこれ見よがしに書いている人を見るとなんだか悲しい気持ちになります。
その人は頭脳明晰な人なのかもしれないし、もしかしたらその人が言っていることが正論なのかもしれません。
でも、そこでその投稿した人を打ち負かしたところで何になるのでしょう?
その人は勝利の美酒に酔いしれているかもしれませんが、相手が嫌な気持ちになるのは明らかです。
そのやり取りを見ている人たちも嫌な気分になります。
どんなに頭脳明晰であってもそこを感じられない人にはコミュニケーションのセンスを感じません。
みなさんはどうですか?
自分が良い気分になるために、相手を嫌な気持ちにしていいことなんて何もないと思うんです。
何かの投稿を見た時に、それを書いた人の気持ちや、その人がどんな思いでその投稿を書いたのかを想像し共感する。
そういうセンスを磨きたいと常々思っています。
自分の考えと違ったら「へぇ、なるほどこんな考えもあるんだな」と思える。
察するとはそんなようなことなのかなと思うのです。
言葉というのはとても強いチカラがあります。
使い方で相手を嫌な気持ちにもできますし、良い気持ちにもできます。
どうせなら良い気持ちになってほしいと思って言葉を選びたいですよね。
そのためには自分が自分がとならないように、自分だけが気持ちい言葉を選ばないように。
相手に喜んでもらうにはどんな言葉が良いのだろうと、相手が嬉しい言葉を選ぶこと。
それこそが察するチカラだと思うのです。